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2025年9月28日(日) 於 盛岡市保護庭園 一ノ倉邸

第5回 藤井 修 追悼演奏会

及び​

2025年11月16日(日) 於 Cafe Bar West38

第6回 藤井 修 追悼演奏会

​曲目紹介

♪「星の歌」 1986年 (ピアノソロ)

星空が美しいことで知られる岡山県井原市美星町の星空から着想を得て作られた作品で、元はハープの為に書かれました。

藤井の初期の頃の作品によく見られる、分かり易い美しいメロディーと、フランス的な響きが印象的な作品です。

 

♪「海が見える丘」 1982年 (ピアノソロ)

藤井の出身地、岡山県笠岡市には、城跡「古城山公園」があります。藤井が幼い頃よく訪れた、この古城山公園から見た瀬戸内海の風景を描いた作品です。

1982年に発表した 子供の為のピアノ曲集「音のスケッチブック」(全10曲)の中に収められています。

♪「楽園の庭」~スリランカの思い出に寄せて~ 2016年 (ピアノソロ)

   I. 睡蓮の池

   II. リスの小径 

   III. 夕暮れの祈り 

2015年末~2016年始、スリランカで2週間インド伝統医療「アーユルヴェーダ」の治療を受けた際、まるで楽園にいるかのように感じられたとの感動から、思い出を曲にしたものです。

心に残った庭の3つの場面が描かれた、3曲の小品から成る組曲です。

3曲共、「レ、ミ、#ファ、ラ、シ、#ド」の6音だけで作られていますが、このような「旋法」による作品を、藤井は晩年数多く手がけています。

この作品も、元はハープの為に作られました。

I.   治療の後に体を休めた庭の中にある、睡蓮の咲く池の風景を描いた曲。

II.  庭の小道を駆け回る、可愛らしいリスたちの様子を描いた曲。

III. 夕暮れ時、キャンドルライトに飾られた幻想的な雰囲気に包まれた庭の中のお堂で、ドクターたちが患者のために祈りを捧げてくれた様子を描いた曲。

一風変わった終わり方ですが、これは、祈りの儀式の後、お堂の周りを舞っていた蛍の様子を表現したものです。​​

 

♪ 「夕映え」 1984年 (フルート・ピアノ)

70~80年代、藤井はPL吹奏楽団の元同僚であるホルン奏者の吉市幹雄氏と共に岡山の就実高校吹奏楽部の指導をし、吹奏楽コンクール全国大会金賞受賞などの好成績を収めたことから、就実高校吹奏楽部が中国に招待され、藤井も同行して中国で演奏旅行をしました。これが、日中国交正常化、初の学生交流だったそうです。

演奏は大成功に終わり、中国を離れる時には、通訳として同行してくれた北京大学の学生たちが、地上から飛行機が見えなくなるまでずっと手を振ってくれていたのだそうです。

学生たちの姿が見えなくなった時、飛行機の窓から美しい夕焼けが差し込んできて、夕日に染まった海の風景が現れ、感動と共に音楽が降りてきて、飛行機の中ですぐ書き上げた作品です。

藤井の初期の作品の特徴がよく表れており、美しい情景と感動や幸福感が素直に表現された、フランス印象派を思わせるような作品です。

この作品は、元はフルートとハープの為に書かれました。

 

♪ オペラ「千姫」より「千姫のアリア」 大阪市委嘱  2005年 (フルート・ピアノ)

2005年、大阪市の主催により、大坂城落城の様子を描いた オペラ「千姫」が、ライトアップされた大阪城をバックに上演されましたが、この時の音楽制作を担当したのが藤井でした。

しかし、実際藤井のところに作曲の依頼がきたのは、なんと公演3ヶ月前のことでした。元々作曲を依頼していた人が曲を完成させられなかったのか、作曲を引き受けてくれる人が見つからなかったのか真相は分かりませんが、最後の神頼みで頼み込まれて引き受けたものでした。3ヶ月という厳しい条件の下でしたが、急いで千姫の物語を読み、実際に大阪城にも足を運び、手を抜かずに必死に完成させた作品でした。

主人公の「千姫」とは、徳川家康の孫で、7歳の時、豊臣秀頼の妻として大坂城に嫁ぎましたが、千姫が18歳の時、徳川家康が大坂城を攻めます。

さて、藤井は「オペラには、心に残るアリアが必要」という考えを持っていましたが、与えられた台本には、そういう場面はありませんでした。そこで、藤井はプロデューサーを説得し、燃え盛る大坂城に夫 秀頼と姑 淀殿を残し千姫が城を後にするクライマックスのシーンに、このアリアを挿入させました。

この一般の人々にも分かり易い美しく切ないメロディーはオペラ「千姫」の主題歌となりましたが、ある音楽評論家から、全国誌を通して「藤井氏は、芸術を理解していない」と酷評を受けました。この評論家にとっては、難解な現代音楽こそが芸術だったのでしょう。

藤井は、家庭の経済的な事情から音大に進めませんでしたが、生涯を通して、音大卒の人らから妬みによる誹謗中傷を受けることが多々あり、恐らくこの批評もその類だったと理解していますが、本人の心の傷は、生涯癒えることはなかったようです。

メロディーだけでも美しいこの曲を、今回はフルートとピアノで演奏します。

♪ 「ボダナートの風」 2020年 野田千晶(ハープ奏者)委嘱 (ピアノソロ)

ネパールにあるチベット仏教寺院、ボダナートの印象を描いた作品です。

ハープ奏者の野田千晶さんから、ご自身の3人の生徒さんが一緒に演奏できる曲をとの依頼を受けて書かれた作品で、元は3台のハープ用に作られました。

3人のハープ奏者が順番にメイン奏者となってテーマを奏でられるよう、ポリフォニーで作られています。

また、「楽園の庭」と同様に旋法を使って作られており、基本「♭シ、ド、レ、(♭ミ)、ファ、ソ、(♭ラ)」の音だけで作られていますが、特に印象に残したい2ヶ所にのみ、あえて曲の中で使用されていない「ミ」の音を使うという独特な作曲の方法が取られています。

中央の大きな仏塔に五色の旗がはためいているのが印象的なお寺ですが、パワースポット的な清々しさ、穏やかさと共に、仏教の深遠な部分、チベットの過酷な運命をも感じさせるような重い部分も感じられる作品です。

                                           

♪「セレナーデ」  1983年 (フルート・ピアノ)

藤井が亡くなる約半年前、精神病院入院中に、この「セレナーデ」の楽譜と初演の音源が発見されました。

どういう背景の下で書かれたのか全く分かりませんが、藤井の初期の作品の特徴であるフランス音楽の要素がふんだんに使われ、夜のヨーロッパの片隅で、男性がベランダの下でギターを奏でながら愛を語っている風景が目に浮かんでくるような作品です。

元はフルートとギターの為に書かれましたが、初めてフルートとピアノで演奏します。

 

♪  音楽物語「日高川」より「うたかたの」  2003年 御坊市民会館委嘱 (フルート・ピアノ)

2003年、和歌山県御坊市にある御坊市民会館開館20周年を記念し、地元御坊市に残る伝説などを織り交ぜた舞台を、地元の人たちが中心になって演じるという 音楽物語「日高川」が公演され、その音楽制作を藤井が担当しました。

その昔、源平の戦いに疲れた平維盛が、この御坊の地にある小森谷渓谷の村に逃げ込み、地元の女性、お万と恋に落ち一緒に暮らし始めました。しばらくは幸せな日々を送っていた二人でしたが、平家敗北の噂が維盛の耳に入ると、維盛は平家の行く末を占うべく護摩壇山に登り護摩を焚きました。平家が勝つのなら煙を上に、負けるのなら下に、と祈って占ったところ、煙は下へ下へと這い、悲しみに暮れた維盛は一人この地を去り、残されたお万もまた悲嘆に暮れ、現在「お万ヶ淵」と呼ばれている場所から渓谷に飛び込んだといわれています。

そのお万が身投げするシーンで歌われた「うたかたの」を、フルートとピアノで演奏します。

 

♪ 「愛のうた」 2022年 (オカリナソロ)

2022年、藤井はアルツハイマー型認知症と診断されましたが、適切な治療や行政の支援を受けられず精神状態が悪化し、警察から保健所へという流れで精神病院に入院となりました。

もう作曲は無理だろうと思われましたが、病棟の中でも今まで通り作曲を始めました。病棟で最初に書いた曲が、自身で作詩も手掛けたこの「愛のうた」でした。

藤井は作曲する際、オーケストラや吹奏楽といった大掛かりな編成の曲でも楽器は一切使わず、全て頭の中で組み立てて楽譜に書いていましたので、楽器がなくとも作曲は可能でしたが、藤井の音楽の才能は、アルツハイマー型認知症の影響を全く受けていなかったことが明らかとなりました。

この曲を、オカリナのソロで演奏します。

 

♪ オペラ「千姫」より フィナーレ「大坂城・山里曲輪の廃墟」 2005年 大阪市委嘱 (ピアノソロ)

2005年に大阪城で公演されたオペラ「千姫」の最後の場面で流れる曲です。

この最後の場面では、生き残った侍に案内され、大坂城の焼け跡を訪れた常光院(尼僧/豊臣秀頼の母「淀殿」の妹)が、「千姫のアリア」をバックに、お骨を拾いながら亡き秀頼と淀殿に語りかけるシーンから始まり、幻となって現れた秀頼、淀殿と共に大坂復興への願いが歌われた後、戦の悲惨さが侍から語られ、そして最後に千姫が、秀頼、淀殿が亡くなったことを受け入れられない切ない思い、城を出るのではなかったという後悔の思いを歌い上げ、オペラは幕を閉じます。

さて、オペラを作曲する際は、本番用の「オーケストラスコア」(歌+伴奏用のオーケストラの楽譜)の他に、稽古用の「ボーカルスコア」(歌+オーケストラ伴奏を簡略化したピアノ伴奏)の2種類の楽譜が必要となります。

このフィナーレの場面の伴奏用の楽譜には、切なく美しいメロディーがふんだんに使われており、歌がなくとも十分にステージで演奏するに値すると思われましたので、皆様にご披露します。

演奏者がピアノソロ演奏のためにアレンジしたものではなく、藤井がボーカルスコアに書いたピアノ伴奏楽譜そのものを演奏します。

​実際のオペラの舞台の様子はこちら↓

オペラ「千姫」 Opera"Senhime" 10/11

 

♪  東北民謡メドレー「みちのく賛歌」  2012年 (フルート・オカリナ・ピアノ)

東日本大震災の後、被災者を励ましたいとの思いから作られた曲です。

藤井は常々「東北は民謡の宝庫だ」と東北の民謡の素晴らしさを評価しており、被災した東北の人々を励ますために、自分は鎮魂の曲やメッセージソングではなく、地域に根差した民謡で力強く励ましたいと、この作品を書きました。

特に被害の酷かった福島、宮城、岩手の民謡がメドレーになっており、宮城県の「斎太郎節」をハバネラのリズムで、次に岩手県の「南部牛追い唄」、最後に福島県の「相馬盆唄」をサンバの原型であるショーロというリズムで演奏というアレンジになっています。

この曲は、室内楽版、吹奏楽版、サックスカルテット版など、様々なバージョンが残されており、ステージでは、藤井の打楽器演奏(特に、ブラジル奏法を使ったタンブリン演奏)が聴かせどころになっていました。

藤井の打楽器演奏が入らないのが非常に残念ですが、今回はフルート、オカリナ、ピアノで演奏します。

 

最後は手話と共に皆さんと…「愛のうた」  2022年 (歌、手話、ピアノ)

先にオカリナで演奏した「愛のうた」。「在宅緩和を考える どんぐりの会」(一ノ倉邸ボランティア)の北岡則子さんがこの曲に共感してくださり、ボランティア活動の中でも皆さんと歌って楽しめるようにと手話を付けてくださいました。

その手話を北岡則子さんにご紹介いただき、会場の皆様とご一緒に歌って、追悼演奏会を締めくくります。

処女作品 混声合唱組曲「浅き春に寄せて」(全3曲) 1980年 について

藤井は、高校卒業後、プロの打楽器奏者として活躍していました。

本当は音大に進みたかったのですが、家庭の経済的な理由から、学費の捻出ができませんでした。

しかし、音楽家としてきちんと音楽理論を勉強しておこうと、31歳の頃、個人的に七ツ矢博資大阪芸大教授の下に音楽理論を習いに行きます。

ところが、ほんの数ヶ月で和声学の日本のテキスト・フランス和声をマスターしたため、「藤井さん、作曲してみたら?」と七ツ矢教授に勧められ、作曲を始めます。

最初に書いた作品が、この立原道造の詩による混声四部合唱組曲「浅き春に寄せて」(全3曲)ですが、いきなり多声部が絡み合う組曲を手掛けるというのも、作曲初心者としては異例のことでした。

立原道造の詩を選んだ理由については詳しく分かっていませんが、「立原道造のみずみずしい感性に満ち溢れた言葉に惹かれ作曲した。」「立原道造の詩は音楽的だ。」という言葉を残しています。

​​

混声合唱組曲「浅き春に寄せて」は、下記の3つの詩の曲から成っています。

 

I. 浅き春に寄せて (「優しき歌Ⅰ」より) 1937年2月

 今は 二月 たつたそれだけ

 あたりには もう春がきこえてゐる

 だけれども たつたそれだけ

 昔むかしの 約束はもうのこらない

 

 今は 二月 たつた一度だけ

 夢の中に ささやいて ひとはゐない

 だけれども たた一度だけ

 その人は 私のために ほほゑんだ

 

 さう! 花は またひらくであらう

 さうして鳥は かはらずに啼いて

 人びとは春のなかに笑みかはすであらう 

 

 今は 二月 雪の面につづいた

 私の みだれた足跡・・・・それだけ

 たつたそれだけ―私には…

II.風のうたつた歌 (その七)1935年

  宿なしのあはて者の雁がうたふには

  池に身を投げ 氷に嘴を折つてしまつた

  春が来たなら どうしよう

  宿なしのあはて者の雁は朝早く

  煤けた入江で泣いてゐた

III. 夢みたものは… (「優しき歌Ⅱ」より)1938年10月中~下旬

 夢みたものは ひとつの幸福

 ねがつたものは ひとつの愛

 山なみのあちらにも しづかな村がある

 明るい日曜日の 青い空がある

 

 日傘をさした 田舎の娘らが

 着かざつて 唄をうたつてゐる

 大きなまるい輪をかいて

 田舎の娘らが 踊ををどつてゐる

 

 告げて うたつてゐるのは

 青い翼の一羽の 小鳥

 低い枝で うたつてゐる

 

 夢みたものは ひとつの愛

 ねがつたものは ひとつの幸福

 それらはすべてここに ある と

1曲目「浅き春に寄せて」は、心浮き立つ春がやってくるけれど、晴れない心、それでも何とか前に進んでいこうとする作者の後押しするような優しい音楽が付けられています。

​曲はこちら↓

藤井修作曲「浅き春に寄せて」詩:立原道造

2曲目「風がうたつた歌」は、イントロに使われているハミングが、風が歌っている様子が巧みに表現されているかのようで、聴きどころの一つとなっています。

​曲はこちら↓

藤井修作曲「風のうたつた歌」詩:立原道造

3曲目「夢みたものは…」の詩は、立原道造の盛岡の旅の終わりに書かれたものです。一般には「立原道造が婚約者に軽井沢でプロポーズした時の詩」という解釈がなされていますが、盛岡への旅がなかったなら、恐らく生まれていなかったであろう詩です。立原道造の詩にはメランコリックなものが多い中、これほどまでに幸福感に満ち溢れた詩は珍しいと言えます。

この詩の一節、「大きな丸い輪を描いて 田舎の娘らが 踊りををどってゐる」の部分のピアノ伴奏が、まさに大きな輪を描いて踊っている情景が目に浮かんでくるように作られているところにも注目して曲を楽しんでみてください。

​曲はこちら↓

藤井修作曲「夢みたものは・・・」詩:立原道造

藤井修作品をお聴きくださること、演奏してくださることが、故人への何よりの供養となります。

追悼演奏会にお越しいただきました皆様には、心より感謝申し上げます。

 

今後も、故人が生前果たせなかった、藤井修作品と藤井の功績を継承する活動に尽力して参ります。

 

合掌

 

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