作曲 編曲 打楽器
吹奏楽指導 アイヌ音楽研究
Composition Arrangement Percussion
Wind Orchestra Research in Ainu Music
藤井 修
Osamu Fujii
藤井修 主な経歴
1946年10月1日
岡山県笠岡市にて誕生
1950年5月 3歳
母 貞枝死去(享年39歳)
1951年7月 4歳
父再婚 継母に育てられる
1953年4月~1959年3月 6~12歳
笠岡市立笠岡西小学校入学・卒業
*音楽が大好きな子供。学校で触れられる楽器は、とにかく弾いて楽しんだ。本人曰く、楽譜を見たらどんな曲なのかが分かった。近所の天理教鼓笛隊に編曲を提供。通知表にも音楽の技能が高いことが記されている。
1959年4月~1962年3月 12~15歳
笠岡市立笠岡西中学校入学・卒業
*学校では、リード合奏団でクラリネット担当。
1962年4月~1965年3月 15~18歳
笠岡市立笠岡商業高等学校入学・卒業
*学校では、吹奏楽部でクラリネット担当。部長、指揮者も務めた。
1963年1月 16歳
父 善一死去(享年56歳)
1965年4月~1967年10月 18~21歳
奈良ドリームランド音楽隊に就職
クラリネットで入隊したが、打楽器に回され打楽器を始める
打楽器を永野成計氏、山口十郎氏に師事
*ドリームランド内でアイヌの人々と知り合い、アイヌ文化に興味を持ち始める。
1967年11月~1968年3月 21歳
大阪のジャズバンドにドラマーとして就職
1968年4月~1972年5月 21~25歳
大阪PL吹奏楽団首席打楽器奏者として就職
PLマーチングバンド連盟創設に携わり、初代講師として100人編成の女子鼓笛隊を創立し指導、NHK紅白歌合戦にも出場
ラテンパーカッションを古谷哲也氏に師事
1972年6月~1980年11月 25~34歳
芸能プロダクションに所属し、芸能人のバックバンドでヴィブラフォン、ドラム、ラテンパーカッションを担当し、テレビ・ラジオ・コンサート・スタジオレコーディングなどで演奏
NHK大阪放送管弦楽団、宝塚管弦楽団等のオーケストラで、ティンパニー、各打楽器を担当
ダンスホール「メトロ」(難波)等にて、ラテンパーカッションを担当
ヤマハ、カワイ、テクニトーン、梅田ナカイ楽器等で、ドラムやラテンパーカッション等のレッスン担当
1976年6月 29歳
継母 ヲキミ死去(享年70歳)
1977年~2014年 30~68歳
就実高校、学芸館高校、浜松海の星高校、浜松学芸高校吹奏楽コースをはじめ、浜松市、岡山県、広島県の多くの中学高校吹奏楽部、アマチュア吹奏楽団にて、オリジナルのシステムによる吹奏楽、打楽器、打楽器アンサンブル指導を行い、地区大会、全国大会出場等の好成績に導く
吹奏楽コンクール全国大会金賞受賞は3度
1978年~2018年 31~72歳
ノートルダム清心女子大学オーケストラクラブ(岡山)、神戸バッハ・カンタータ・アンサンブル、アンサンブル・レネット、アンサンブル・ネボー、くりの木コーラス等、プロ・アマの各音楽団にて、編曲・打楽器演奏を行う
1979年 32歳
七ツ矢博資氏より和声学を学び始める
*「和声 理論と実習」I、II(音楽之友社)、フランス和声「シャラン」を短期間でマスターし、翌年より作曲開始。
1979年12月~2011年9月 33~64歳
カワイ音楽教室専門講師・委任講師として就職
☆テキスト制作
「Method and Exercises for PERCUSSION and DRUM SET 1,2」(カワイ音楽学園用テキスト)、「ドラムテク
ニック」、「はじめてのドラム」、「たのしいドラム」(共著)
☆教育楽器セミナー
幼児教育専門家を対象とした和太鼓、教育用打楽器、ラテンパーカッション講習等を担当
☆システム制作
カワイ・ドラム・グレードのシステムを作成し、西日本、中部、九州にて普及・定着に努める
☆各種審査
ドリマトーン(電子オルガン)、ピアノ、教育のハイ・グレード試験審査、ドラム、ギターグレード試験の課題作成
と審査、ピアノ、ドリマトーンコンクールの関西地区大会審査員
☆講師コンサートに、ドラマー、パーカッショ二ストとして出演
☆講師コンサートや発表会の編曲
☆機関誌「Dreamatone」に、ラテンパーカッション入門、ドラム入門を連載
☆中部地方から九州まで毎月約200名のドラム指導
*実際は、2006年3月末で全ての講師職を外され、主に雑務をさせられていた。
和太鼓を、吉村城太郎氏に師事
1980年4月~2006年3月 33~59歳
カワイ(旧 中央)音楽学園講師を務める
☆本科生を対象とした教育用打楽器、ラテン・パーカッション、ドラム・セットの実技指導、研究科生を対象としたボディー・パーカッション、はこだいこ(スリット・ドラム)、ボックス・シロフォン、ボックス・グロッケン、和太鼓等を使った自作曲によるアンサンブル研究、小泉文雄氏の論文を通しての民俗音楽研究授業を行う。
1981年11月 35歳
第四回香港ユース・シンフォニック・バンド・フェスティバルに就実高校(岡山)吹奏楽部の特別顧問として同行、打楽器奏者として共演
1983~1995年 36~49歳
関西舞踊会議作曲部門に参加、作品を発表
1983年5月 36歳 1986年2月 39歳
岡山と大阪に於いて、自作品演奏会「藤井修 作品の夕べ」を2度開催
1983年12月 37歳
第一回日中青少年学生交流大会に就実高校(岡山)吹奏楽部特別顧問として同行、打楽器奏者として共演
1989年~2005年 42歳~59歳
作曲家集団「Port」を立ち上げ、代表として作品演奏会のプロデュースをすると共に自作品発表
1989年8月 42歳
神戸ジュニア弦楽アンサンブルのドイツ旅行に同行、子供の為の弦楽合奏組曲「夢の日記帳」が演奏される
1990年8月 43歳
十二指腸潰瘍で入院
*出血多量で一時危険な状態となる。
1992年 45歳
HNK海外向け放送番組「ふるさと日本」にて、自身の創作・演奏・教育活動が世界に向け特集で紹介される
HNK京都制作、ドキュメンタリー作品「葵祭」の音楽担当
1994年1月 46歳
ピアノ小品集 子供の為のインベンション「音の花かご」レッスンの友社より出版
1994年10月 46歳
赤穂郡上郡町からの委嘱により、「平家まつり」の為の組曲「平家郷」を作曲、公演
1996年 48歳
天風会入会
1998年5月 51歳
ノートルダム清心女子大学(岡山)公開講座にて、創作打楽器の為の「オーロラ」を作曲し、教育用音楽研究を共同発表
2002~2008年 55~61歳
浜松市にて、中高生を対象とした打楽器アンサンブル研究会を年1回開催
2003年5月 56歳
別府大学にて、打楽器奏法及びアンサンブルの特別講義
2003年12月 57歳
和歌山県御坊市からの委嘱により、御坊市民文化会館友の会二十周年記念事業ミュージカル「日高川」を作曲、御坊市民会館にて公演
2004年 57歳
吹奏楽の為の「鳥たちの神話」第14回朝日作品賞入選 全日本吹奏楽コンクール課題曲になる
2005年8月 58歳 2006年10月 60歳
大阪市の委嘱により大阪市野外創作オペラ「千姫」を作曲、大阪城西の丸庭園にて各観客二千人を集め上演
2006年4月 59歳
婚姻
2006年7・9月 59歳
三重県桑名市音楽療法センターにて、音楽療法士の為の打楽器講座開催
2006年10月 60歳
結婚式
2007年 60歳
吹奏楽の為の「若人の道」第二回管打・吹奏学会作曲賞受賞
2008~2016年 61~69歳
岡山県大正琴愛好会の編曲とアンサンブル指導を担当
大正琴と文化箏による初のアンサンブル創設
2008~2017年 61~70歳
大阪教育大学 寺尾正教授による「わらべうた」をベースにした合唱の教育システム作成の共同研究に参加
2008~2023年 62~76歳
主に自宅、Seven Step Music(茨木市)、サウンドイリュージョン(大阪市十三)、くりの木音楽教室(豊中市)にて、ドラム、打楽器、作編曲、音楽理論、和声学を指導
2010年~2023年 63~76歳
3室内楽作品、21合唱作品をマザーアースより出版
2010~2014年 62~66歳
生田流箏師匠からの依頼により、宮城道雄筝曲14曲を絃名譜と音源より採譜し、箏とフルート用に編曲
2014~2015年 66~68歳
4吹奏楽作品をRodluc-music(ルクセンブルク)より出版
2017年6月 70歳
伊福部達東京大学北海道大学名誉教授の依頼により、伊福部昭に代わり、ピウスツキ(文化人類学者/1866-191ポーランド)が蝋管レコードに録音した1900年代の樺太アイヌのユーカラ(歌・叙事詩)のうち、北海道大学に渡り再生された64本の蝋管レコードの採譜(音源から楽譜を起す作業)を10数年かけて完成、音源と共に国の永久保存が決まる
2020年10月 74歳
まだ誰も手掛けていない箜篌(日本最古のハープ)の伴奏による和歌による歌曲 組曲「鈴音の楽」を5年がかりで完成(未発表)
2022年1月 75歳
アルツハイマー型認知症と診断
2022年3~8月 75歳
精神病院に医療保護入院
2023年1月 76歳
誤嚥性肺炎で入院
2023年1月27日 76歳
死去
*2022年5月より精神病院の中で書き始めた ソプラノとバリトンの為の組曲「やまとうた」(歌詞:古今和歌集より)全4曲のうち、第4楽章が未完成のまま絶筆。(未発表)